SaaSファーストの実践に向けた選定・導入・運用のヒント
開発スピードの向上とコスト最適化のために「SaaSファースト」は非常に有効な手立てとなります。しかし、市場には数多くのSaaSが存在しており、選定の失敗リスクも少なからずあります。
本記事では、選定で失敗しないための6つの重要なチェックポイントを、技術的、人的、そして経営的な側面から具体的に解説します。さらに、選定したツールを組織の力として定着させ、その効果を可視化するための導入プロセスについても触れ、SaaSファースト実践の確実な第一歩をサポートします。
ツール選定で失敗しないための6つのチェックポイント
前述の通り、世の中には無数のSaaSが存在します。その中から自社に最適なツールを選ぶには、どのような基準で判断すればよいのでしょうか。単に機能の多さだけで選んでしまうのは、必ずしも良い選択とは言えません。ここでは、長期的な成功を見据えたツール選定のための6つのチェックポイントを解説します。
ポイント①:API連携とエコシステムの拡張性
SaaSは単体で使うよりも、他のSaaSと連携させることでその価値が飛躍的に高まります。利用するSaaSが、自社で既に利用しているバージョン管理システム(GitHubなど)やコミュニケーションツール(Slackなど)とスムーズに連携できるかは、必ず確認すべき最重要項目です。優れたエコシステムを持つSaaSを選ぶことは、自社で連携処理を開発する手間を省き、SaaSファーストの思想を加速させます。
ポイント②:開発者体験(Developer Experience, DX)
これは「そのSaaSを使っていて、開発者が心地よいか」という、非常に重要な指標です。具体的には、導入のしやすさ、ドキュメントの分かりやすさ、UIの直感性などが含まれます。開発者体験が悪いSaaSは、たとえ高機能でもチームに浸透せず形骸化するリスクがあります。この問題に向き合うために、無料トライアル期間中に実際に複数の開発者に触ってもらい、「このSaaSとなら長く付き合えそうか」という定性的なフィードバックを集めるのが非常に効果的です。
ポイント③:セキュリティとコンプライアンス要件
B2B SaaSを提供する上で、利用する外部SaaSのセキュリティ体制を精査することは、顧客に対して果たすべき重要な責務です。しかし、必ずしもあらゆる認証を網羅的に取得しているかを確認する必要はありません。重要なのは、自社のビジネスモデルとターゲットの市場に応じて、取り組むべきコンプライアンスとその優先順位を適格に見極めることです。以下にセキュリティに関する主要な指標をいくつか紹介します。
・SOC 2 Type II: エンタープライズ顧客へのサービス提供が中心の場合、継続的な運用統制を証明するこの報告書は、信頼獲得の鍵となります 。
・ISO 27001: 組織全体の情報セキュリティ管理体制を国際標準に準拠させたい場合に適しており、幅広い顧客層への信頼性向上に寄与します 。
・GDPR: EU市場の顧客を対象とする場合、GDPRの遵守が不可欠です。遵守は法的な必須要件です 。
・HIPAA: 米国のヘルスケア市場に関連するデータを扱う場合、HIPAAの遵守が不可欠です。
セキュリティが担保されたSaaSを利用することは、そのSaaSが持つ「信頼性」を自社のサービスに組み込むことであり、自社単独で対応する莫大なコストを節約できます。
ポイント④:サポート品質とコミュニティ
問題が発生した際に、迅速で的確なサポートを受けられるかは、SaaSの価値を大きく左右します。特にスタートアップでは、ベンダーのサポートは実質的な「外部の専門チーム」として機能します。サポートチャネルの豊富さや応答時間に加え、ユーザー同士で情報交換できる公式のSlack/Discordコミュニティやフォーラムが活発かどうかも、実践的な情報を得られる貴重な場として重視すべきです。
ポイント⑤:料金体系と総所有コスト(TCO)
Webサイトに記載されている月額料金だけでなく、導入から運用までにかかる総費用、すなわち総所有コスト(TCO)で評価する視点が重要です。また、事業の成長予測に基づき、「ユーザー数が10倍になったら?」「データ量が100倍になったら?」といったコストシミュレーションを行いましょう。特に使用量課金モデルは、シミュレーション不足による予期せぬ高額請求に繋がるリスクがあるため、慎重な検討が必要です。
ポイント⑥:ベンダーロックインとデータのポータビリティ
これは「将来、そのSaaSの利用をやめたくなった時に、どれだけスムーズに移行できるか」という視点です。特定のベンダーの独自技術に深く依存すると、将来の乗り換えが困難になる「ベンダーロックイン」状態に陥るリスクがあります。OpenAPIのような業界標準のフォーマットに対応しているか、ツールに蓄積したデータを簡単にエクスポートできるかを確認し、将来の技術選定の柔軟性を保つことが賢明です。
最適な導入プロセスで開発体制を強化する
自社に最適なSaaSを選定できたら、次はいよいよ導入のフェーズです。しかし、焦って全社に一斉導入しようとすると、現場の混乱や反発を招きかねません。新しいSaaSを定着させ、その効果を最大化するためには、戦略的な導入プロセスと効果を可視化する仕組みが重要になります。
まずは特定チームでの導入から始める
新しいツールを導入する際は、まずは特定のチームでの試験的な導入から始めるのが定石です。
重要ではあるものの、ミッションクリティカルではない実在のプロジェクトを対象に選び、「4週間で手動デプロイの時間を50%削減する」といった明確な目標を設定してスタートします。この小規模な導入体験と、そのチームから得られる「実際に使ってみてどうだったか」という定性的なフィードバック、そして導入プロセスで得られた知見こそが、その後の全社展開をスムーズに進めるための重要な情報となります。
導入効果をDORAメトリクスで可視化する
「開発が速くなった気がする」といった感覚的な評価だけでは、ツールの導入効果を客観的に判断することは困難です。そこで活用したいのが、DORAメトリクスという、開発生産性を測るための業界標準の4つの指標です。これらの指標は、開発チームのパフォーマンスを「速度(Speed)」と「安定性(Stability)」という2つの重要な側面から定量的に評価することを目的としています。
- デプロイの頻度: 本番環境へのリリース頻度。
- 変更のリードタイム: コードのコミットから本番リリースまでにかかる時間。
- 変更障害率: デプロイが原因で本番環境で障害が発生する割合。
- サービス復旧時間: 障害発生から復旧までにかかる時間。
例えば、CircleCIのようなCI/CDツールを導入し、継続的インテグレーションのプラクティスを組織に定着させることで、「デプロイの頻度」や「リードタイム」といった指標の改善が期待できます。これらの指標をツール導入の前後で計測・比較することで、SaaSへの投資がビジネスの速度と安定性にどれだけ貢献したかを、誰の目にも明らかなデータとして示すことができます。
SaaSの効果を測定し、組織に定着させる運用プロセス
小規模な導入が成功し、いよいよ全社展開という段階は、SaaSファースト戦略における第二の関門とも言えます。一部のチームでの成功体験が、必ずしも組織全体の成功に直結するとは限りません。
SaaSは「導入したら自動的に効果が出る」ものではなく、組織に定着させ、継続的にその価値を引き出して初めて「実践できている」と言えます。このセクションでは、導入したSaaSの効果を最大化し、定着させるためのプロセスについて解説します。
全社展開(ロールアウト)で直面する「浸透の壁」
特定チームでの導入の成功は、あくまで「最適な環境下での成功」であることが往々にしてあります。全社展開のフェーズでは、利用者のリテラシーのばらつき、既存業務フローへの固執、ツールの管理責任者の不在など、予期せぬ「浸透の壁」に直面することが少なくありません。
「便利なはずなのに、一部のチームしか使ってくれない」 「既存のツールと機能が重複し、現場が混乱している」 「誰が管理者なのか、トラブル時にどこへ聞けば良いか不明確」
こうした事態を避けるためには、技術的な移行作業と並行して、「組織的なチェンジマネジメント」が不可欠です。なぜこのツールを導入するのかという目的を、経営層や管理職からも粘り強く発信し続けること。そして、ツールの使い方やトラブルシューティングをまとめた社内ドキュメントを整備し、推進担当者を明確に設置することが、全社へのスムーズな浸透を後押しします。
SaaS導入効果の「見える化」:何をKPIに設定すべきか?
SaaSの導入効果を可視化することは、導入の検討時だけでなく運用が始まってからも重要な要素になります。
全社での導入自体には成功したものの、「なんとなく便利になった気がする」という曖昧な評価で終わらせてしまっては、継続的な改善にはつながりません。SaaSファーストを推進する上で、導入効果の「見える化」は極めて重要です。
ここで立ち返るべきは、選定チェックポイントの1つ目「『なぜ』導入するのか?」で設定した課題です。 もし「開発リードタイムの短縮」が目的だったなら、「デプロイの平均所要時間」や「月間デプロイ回数」がKPIになるでしょう。「手作業によるミスの削減」が目的なら、「インシデント発生件数」や「手戻り工数」を測定すべきです。
また、開発効率やコストといった定量的な指標だけでなく、「ツール導入後の業務満足度」や「コラボレーションの円滑さ」といった定性的なアンケートを現場から取ることも有効です。これらのKPIを定期的に観測することで、初めてSaaS導入の投資対効果(ROI)を客観的に評価できます。
継続的な改善サイクルと「攻め」のSaaS運用体制
SaaSは一度導入したら終わりではありません。市場のトレンドは変わり、自社のビジネスも成長に伴い変化したり、SaaSベンダーも日々機能をアップデートしています。導入から半年後には、もっと効率的な使い方が生まれているかもしれません。
大切なのは、導入効果のKPIを定期的にモニタリングし「もっとうまく使えないか」「他の業務にも応用できないか」と問い続ける、継続的な改善サイクル(PDCA)を回す体制です。
とはいえ、日々の業務に追われる中で、複数のSaaSの利用状況やコストを横断的に把握し、最適な運用を維持し続けるのは大きな負担となります。特に、気づかぬうちにライセンス費用が膨らんでいたり、使われていない機能のためにコストを払い続けていたりするケースは少なくありません。運用の課題に対するアプローチとして、以下を実施してみるのも良いでしょう。
・明確なオーナーシップと役割分担:
まず、「誰が、どのSaaSの管理者で、何に責任を持つのか(契約更新、アカウント管理、セキュリティ設定など)」を定義します。責任者の不在は、ツールの形骸化やセキュリティリスクの温床となります。
・定期的なレビューサイクルの導入:
「四半期ごとのアカウント棚卸し」や「契約更新前の利用状況評価」を制度化します。使われていないライセンスや重複する機能がないかを確認し、コストの最適化を図ります。
・社内ドキュメントの整備:
ツールごとの運用ルール、トラブルシューティング手順、推奨される使い方などを文書化し、社内の誰もが参照できるようにします。これにより属人化を排除し、新しいメンバーのオンボーディングもスムーズになります。
SaaSを「導入する」段階から「使いこなし、改善し続ける」段階へと移行することが、SaaSファースト戦略の真のゴールと言えるでしょう。
まとめ
本記事では、SaaSファーストを実践するための重要な「選定チェックポイント」 から、戦略的な「導入プロセス」 、そして導入後にSaaSの価値を最大化するための「運用プロセス」 までを解説しました。
最適なSaaSの選定は、単なるツール導入ではなく、自社の開発体制やビジネスの未来を左右する戦略的な一手です 。しかし、SaaSファーストの真の成功は、「導入して終わり」ではなく、その効果を継続的に測定・改善し、組織の血肉として定着させていくプロセス にかかっています。
今回ご紹介したチェックポイントや導入・運用プロセスを参考に、自社の課題に真に寄り添うツールを見極め、SaaSファーストの成功に向けた確実な一歩を踏み出してください 。
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